Kindleファイヤ端末の音声読み上げ機能と、シャープ製ネックスピーカーの組み合わせでで、本を耳読するのが習慣化しました。
この3週間は、隙間時間の全てを充てて1冊の本に集中し、読了しました。
講談社刊 吉 川英治の「三国志」です。
Kindleの青空文庫で、全八巻が1冊99円にまとめられています。
きっかけは、4月に行った中国四川への旅行です。
成都に滞在し、観光名所となっている市内の武侯祠(ぶこうし) を訪れました。諸葛孔明や三国志の偉人達を祀っている場所です。
実は私は、これまで三国志は読んだことがなく、中国の歴史にもまるで無知でした。三国志や諸葛孔明という言葉は聞いたことはあったけど、諸葛孔明が三国志の中の主要人物だという認識さえ、持ち合わせていませんでした。
なので、武侯祠を見てまわっても、「へぇ、そぅ、ふーん」という薄ーい感想しか、持ち合わせませんでした。ただ、訪れている大勢の中国人観光客は、皆さんとても熱心に、そこかしこの像や調度品や書物に見入っていました。その熱心さが、印象的でした。
あの皆さんの熱心さがどこから来ているのかを知りたくて、それで三国志を読もうと思い立った次第でした。読了した今にして思えば、なんてもったいない成都訪問だったんだろうと思います。僅かばかりでも三国志の知識があれば、何十倍にも興味を持って、滞在楽しめたことと思います。とにかく、またいつかリターンマッチで、成都は訪れてみたいです。
三国志は、私にとって初めての超長編小説読破でした。今は達成感が半端ないです。自分で自分を褒めてあげたい(笑)。
読み進めるのが面白くて、すっかりハマってしまいました。
私は推理モノや探偵モノが苦手です。映画や2時間サスペンスドラマを観ていると、あらすじがこんがらがって分からなくなってしまうことが、しばしばです。
ストーリーのそこかしこに様々な伏線が敷かれ、最後にはそれら全てが統合されて、犯罪のタネあかしがされ、観客はその意外さに驚愕し拍手喝采します。しかし私にはそのオチがわからず、理解できずにポカンとしてしまうのです。おそらくは脳機能的に、何か弱い部分があるのだと思われます。
そんなわけで、長編の本を読むのは、全く得意ではありません。
三国志には、おびただしい数の中国古代の地名や人名が登場します。文語的な言い回しも頻出します。
目で文字を追う従来の読み方では、おそらく最初の数十ページで挫折していたと思われます。
しかし、ラジオドラマ感覚で耳読することにより、仔細にとらわれず、どんどん先に読み進めることができました。最新テクノロジーのおかげです。
人名については、主要人物の劉備玄徳、関羽、張飛、諸葛孔明、趙雲、曹操、呂布くらいを記憶し、後はこだわらないことにしました。20:80パレードの法則で、主要キャスト20%だけを覚えておく作戦です。
ただ、音声読み上げにつき、人名はともすると訓読みになってしまいます。孔明は全て「ひろあき」と、めっちゃ日本人的に読み上げられてしまいます。違和感大きすぎ(苦笑)。まぁ、そこは許容範囲とします。
音声読み上げだけだと、人名の漢字が頭に思い浮かばないことが多いです。例えば「ちょううん」の姓は「張」なのか「趙」なのか。名は「運」なのか「雲」なのか。
不明な場合でも、20回くらい以上繰り返し名前が出てきたところでようやく、Kindle画面を見て漢字を確かめるようにしました。
地名も同様に、20回以上頻出してから初めて、Kindle画面を見て漢字を確かめて、さらにググって現在の中国の地図上でどこになるかを、確認するようにしました。
とにかく正確さにはとらわれず、話の筋をきちんと追ったり、人物の相関図をきちんと把握しようとしたりせず、その場面ごとの面白さを感じて、物語全体の展開のリズムを感じるよう、心掛けました。
諸葛孔明以外は、どの登場人物も人間味豊かに描かれており、長所と短所を併せ持つ生身の人間として、生き生きと描かれているのが、魅力でした。劉備の真っ正直さと穏やかさ、関羽のの徹底した忠君ぶり、張飛の豪放快落さ。ヒール役の曹操にしても、時と場合により必ずしも冷酷無慈悲ではなく、心の葛藤や迷いがあり、ある意味魅力的な人物となっていて、どこかリアリティを感じさせます。
また読後には、これまで訪れたことのある中国の街を、改めて三国志的視点て思い起こす良い機会となりました。
成都: 今年四月中旬に訪れました。日中の最高気温は25度を超え、亜熱帯の陽気でした。
平坦な大地がはるかも彼方まで広がり、中国奥地の趣きは皆無です。スーパーやローカル市場では豊富な生鮮食材が並び、その種類の多さとサイズの大きさに驚かされました。水産物も豊富で、長江は海扱いなのだなと分かります。蜀の都は、食の都。
奥地というのは、あくまでも極東の島国日本からの視点。タイランドから見れば、まっすぐ地図を上に上がっていったところが成都になります。成都からすれば、北京もチェンマイも天竺インド東部も、ほぼ等距離。蜀こそが東洋世界の中心にふさわしい、と考えるのは自然でしょう。
重慶: 切り立った険しい断崖地形の上に、1000万人の大都市がよくも構築されているものだと、驚きを禁じ得ません。呉の水軍が長江を遡って蜀を攻めるのは、まったく不可能とお前思われるような、天然の要塞になっていると思えます。
昆明: 諸葛孔明の南蛮遠征は、現在のミャンマー国境近くまで進出したようです。今から1700年も前に、成都徒からはるばる雲南の地まで進軍するなどとは、途方もない距離です。スケールの大きさをに、圧倒される思いです。成都に比べればずっと奥地感があり、ここなら猛獣使いの南方系の武装部軍隊が出てきても、さもありなんとと思えます。
鄭州: 魏の都洛陽へは行ったことはありませんが、そのお隣の鄭州は訪れたことがあります。
車でずっと移動して、見渡す限り緑の大平原が続き、全ての土地が畑となっています。豊穣な土地柄です。人の手が細かくしっかりと入っているのが、米中西部の大平原とは異なります。今にして思えば、ザ・中原です。漢は果てしなく広大です。
三国志で知識を得たことで、今後中国へ旅行に出かけるのが、さらに楽しみになりました。
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